阪神淡路大震災から30年 歌い継がれる音楽の力「しあわせ運べるように」 作詞/作曲 臼井 真

声楽専攻(現 声楽コース)1983年卒業
臼井さんの作詞・作曲オリジナル曲は400曲以上。大学卒業後小学校の音楽専科の教員になり25歳の時に作った「みえない翼」は神戸市の小学校の音楽会ではエンディングの定番曲として歌い継がれています。神戸市の小学校に通われた方には懐かしい曲でしょう。この曲を聴けば、その当時の音楽室や音楽会の風景、頑張って練習したことなどが瞬時によみがえることができ、音楽というみえない翼を忘れずにいて欲しいという願いが込められた合唱曲です。
そして、臼井さんの代表曲として今や世界中で歌い継がれる「しあわせ運べるように」1995年阪神淡路大震災の際、臼井さんが34 歳の時に作ったこの曲は、最初は避難所でもあった勤務先の小学校で生徒たちと避難所の皆さんによって歌われ、やがて神戸の街に広がっていきました。その後は毎年の震災の慰霊祭やルミナリエの点灯式、さらには神戸市の成人式でも歌われるようになり、令和3年には神戸市歌として制定されています。
また、災害に見舞われた日本各地の被災地で、さらには世界中の被災地でも翻訳され、歌い継がれています。阪神淡路大震災から30年、毎年の1月17日とその前後にはテレビや新聞で臼井さんと「しあわせ運べるように」を歌う皆さんが取り上げられています。大阪芸術大学の夏の「プロムナードコンサート」でも2021 年にプログラムに取り入れられました。
震災30 年のこの機会に改めて臼井さんをお訪ねし、「しあわせ運べるように」に込めた思いとその後の広がりのこと、また曲作りや学生時代の思い出についてもお話しをうかがいました。
音楽科教員と曲作りへの道
歌ったりするのが好きでした。中学生の頃にエレクトーンを習い始めその後は当時流行した荒井由実さんなどのシンガーソングライターに憧れました。音楽大学に進学しようと思ったのは高校2年の頃で、大急ぎで実技や理論の勉強を始めました。その時に素敵な声楽の先生と出会い、声楽専攻を目指すことにしました。実は子供の頃から人前に出ることが得意なタイプではなかったので、声楽を目指すというのは意外な選択でしたが、その先生の導きで小学校教諭を退職した後、現在の神戸親和大学に勤務することになりました。人との出会いの大切さを感じています。
学生時代の思い出としてはぎゅうぎゅうの学生バスで通称「さるおじ、さるのおっちゃん」に背中を押し込まれて乗り込んだこと。喜志駅近くの中華「北京」や天王寺のカフェ「ジロー」での友人達との寄り道。被り物や着ぐるみを着たままの他学科の学生達と授業を受けたこと。音楽の方では特別演奏会の合唱でモーツァルト「レクイエム」や客演で来て下さった外山雄三先生の指揮で「カルミナ・ブラーナ」を歌ったことは貴重な経験でした。
クラシック音楽からの就職の道として教職課程を履修していました。引っ込みじあん気味の自分としては教鞭に立つことは抵抗もありましたが、教育実習に行った際に神戸市では小学校の音楽専科の道もあると聞き採用試験を受験しました。狭き門でとても無理と思っていたのに上手く出来た課題もあり、見事に合格。さらに、ごく少数の小学校音楽専科教諭として採用され、退職までの38 年間を8 つの小学校で勤めました。
小さい頃から作曲したりするのが好きだったので、子供たちのためのオリジナル曲を作って一緒に歌いました。気に入った曲を喜んで歌ってくれる子供たちの姿は自分の自信にもなり、その後は現場で必要なオリジナル曲を増やしていきました。
わずか10分で書き上げた「しあわせ運べるように」
わずか10分で書き上げた「しあわせ運べるように」1995年1月17日は生徒たちの早朝練習のために早起きし、1階で朝食を済ませ2階の自室へ、その直後の5 時46分に地震が起きました。自宅は1階が潰れ2階がそのまま落ちてしまいました。真っ暗な中で余震が続き、死の恐怖を味わう中で夜が明けて何とか窓から脱出することが出来ました。家族も全員が無事でした。その後は親戚の家に身を寄せることになり、そこから小学校に出勤しました。
小学校は避難所にもなっていて、救援物資の分配など目の前のことばかりに追われる日々を過ごす中、しばらくしてテレビで三宮の街の惨状を見ました。慣れ親しんだ神戸の街が変わり果てている。その様子に、心の中からこみ上げる思いを書きけて曲を作りました。地震に負けそうな自分と子供たちを励ます希望の歌を作り上げるのに10分もかからなかったと思います。
まず子供たちにこの曲を教え、それを聞いたボランティアの皆さんに広がり、毎朝学校のスピーカーで録音のテープを流すようになりました。2月末に学校が再開された時には、自分のピアノ伴奏で子供たちと、この曲を聞き覚えた避難所の皆さんが声を合わせて歌いました。こうして「しあわせ運べるように」は復興の歌として神戸の街にじわじわと広まっていくことになりました。

(1995年2月) = 臼井さん提供
広がり続ける「しあわせ運べるように」
「しあわせ運べるように」は毎年の震災の慰霊祭だけでなく、成人式でも歌われるようになり、神戸で育った方には誰もが知る歌となりました。その後、新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などの被災地では歌詞の「神戸」をそれぞれの地名や「ふるさと」に変えて、復興への願いを込めて歌われました。震災から15 年目には、佐渡裕さんの指揮で当時の皇太子殿下の前でも歌われ、殿下が当時の鳩山首相に「この歌を世界に発信できないだろうか」と言われたことがきっかけで政府も動き出すことになり、翌年には上海万博の会場で国連のメンバーの前でスピーチをする機会も得ました。今では12 か国以上の言語に翻訳され、海外の被災地でも復興への願いを込めた人々を励ます歌として歌い継がれています。
この30年の間に多くの慰霊祭や式典でこの歌を共に歌ってきました。テレビの特集も組まれました。その進行役やゲスト、ナビゲーターには神戸や兵庫県出身の方が多くおられます。女優の藤原紀香さん、山之内すずさん、フィギュアスケーターの坂本花織さん、Aぇ! group の佐野昌哉さん、皆、この歌を聴いて歌って育った方々です。また最近、今は40 歳を超えている震災当時の生徒たちと30年ぶりに再会する機会がありました。皆「しあわせ運べるように」の歌の力で心が繋がっていると感じています。
子供たちや若い皆さんに伝えたいことは、目には見えない美しい心・音楽に感動できる豊かな感性を持って欲しいということ。心が豊かでなければ幸せとは言えないでしょう。そして、これから出会うすべての人にしあわせを運べるような心豊かな人生を歩んで欲しいと思います。
震災から30年経った今、震災を知らない方も多くいます。歌うことは祈ることに繋がります。震災で亡くなられた方一人一人の思い、傷ついたふるさとや人々への思いを忘れないでいてほしい。
「しあわせ運べるように」が被災地への希望の歌として全国の皆さんに伝わることを願っています。

2025年5月8日 スペシャルデー = 臼井さん提供
しあわせ運べるように(神戸オリジナルバージョン)
作詞・作曲 臼井 真
地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 神戸のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように
臼井 真
うすい まこと
1960年神戸市生まれ。1983年3月大阪芸術大学演奏学科 声楽専卒業 震災時は神戸市立吾妻小学校(97年閉校)勤務。神戸市立の8つの小学校で38年間勤め、2021年3月末で退職。現在は、神戸親和大学教育学部教育学科 教授。「しあわせ運べるように」は、神戸ルミナリエでも歌い継がれ、神戸から新潟、東北、熊本へ・・・。そして英語・中国語・フランス語・ペルシャ語・イタリア語・カンボジア語・トルコ語・スペイン語・エスペラント語・ミャンマー語・ネパール語・韓国語にも訳され、海外でも広く歌われている。そして令和3年1月17日、神戸市歌として制定された。その他、小学生のための作詞・作曲オリジナル曲は400曲以上。平成17年度兵庫県教職員組合教育文化奨励賞受賞。平成18年度国際ソロプチミスト神戸東第一回グローバル賞受賞。平成22年度神戸市教育委員会教育実践奨励賞受賞、平成23年文部科学大臣優秀教員表彰。平成26年神戸新聞「平和賞」受賞、令和2年国際ソロプチミスト神戸東「千 嘉代子 賞」クラブ賞受賞。令和3年兵庫県功労者表彰文化功労賞、JASRA 第8回文化賞受賞 令和7年兵庫県功労者表彰県勢高揚功労賞受賞
公式サイト「しあわせ運べように」 http://www.shiawasehakoberuyouni.jp
取材・文責:企画広報委員会 委員 豊田 千晶
取材:校友会事務局長 芝野 晴夫
取材写真:校友会事務局 松本 晴名



