あのころの先生は今…『先生に逢いたい』
林 康夫 先生
大阪芸術大学教授 大阪芸術大学大学院 芸術制作研究科担当 退職後名誉教授
思い出に残る先生など、あの頃に思いを馳せれば、お会いしたい先生がいると思います。今回は、そんな思いを胸に当時、教鞭をとっていらっしゃった先生方2名をお尋ねしました。
まず、ご紹介するのは、林康夫先生。芸大草創期の1968年から塚本学院で教鞭をとられ1999 年大阪芸術大学大学院芸術制作研究科担当(退職後名誉教授)となられ数多くの国際陶芸展グランプリを受賞された林康夫先生です。
林康夫先生には、校友会企画広報副委員長の竹垣恵子(前 工芸学科教授)がお会いしてきました。諸々の事情により、対談での取材はできませんでしたが、林康夫先生からは原稿をいただきました。原文のまま掲載いたします。

大阪芸大の思い出
丁度一回生の卒業と入れ替わりとなりました。芸大草創期の困難な時期、教師の件で鈴木治氏から電話があり、「俺一人ではやれないから手伝って欲しい」と言うものだった。内定の段階で、村松寛氏を近鉄阿倍野駅で鈴木氏と共に待ち合わせ、喜志駅へと向かった。生駒山が見えなくなってえらく遠い所に行くんだなと言う印象が、今も強く残っている。あの頃山科から大阪芸大まで3時間30分掛かりました。
喜志駅から教員バスで大阪芸大に到着した。そこで見たものは、これが「大学」と言うものか? と言う風景であった。特に、陶芸科実習室は他の工芸科実習室と比較して、見るに耐えない哀れなものでした。これでどうして実習が出来るのか、今までの4 年間は?? と驚きました。鈴木治氏が芸大専任、私は短大専任兼芸大担当となり授業が開始されました。轆ろくろ轤が学生の数(4〜5人)に2台だった、カリキュラムの内容を鈴木氏と協議して、有効に活用しました。しかし問題は「窯」で倒煙式の小型石油窯1基、焼成すれば温度差分布が大きく3段階に分かれる難物でした。翌年鈴木氏が京都市立芸大に移ったので、私が芸大の専任となりました。陶芸コースの設備は初期型の電気窯10kw が1 基新設されたのみで、これという増設が何も無く苦難が続いていました。折から学生数が増加傾向に入ってきて、これは大変と思いました。



ファエンツァの国際陶芸展で日本人で初めてのグランプリを獲得
1972年、イタリア・ファエンツァの国際陶芸展で思いがけず、拙作が日本人で初めてのグランプリを獲得しました。GP 受賞は’73(カナダ)、’74(フランス)そして’87(ポルトガル)と続きました。
この受賞が大阪芸大理事長・学長の耳に入ってから、陶芸研究室への対応が大きく変わり始めました。設備の新規増加がすんなり通る様になりました。電気窯の新式大型化増設、ガス窯新設、轆轤の定数化、ムロの新設、施釉設備その他些細な器具類の準備が整うようになり、今日に至る陶芸実習室の基礎を作ることができました。高校生の受験大学の見学会にも、充実した設備に安心した生徒もいた様です。
その後の学生数の急増も部分的には大変でしたが、学生諸君には基本的にまともな陶芸実習が出来たと自負しています。着任当時の事を思えば、プロの陶芸家が責任を感じないわけに行かなかっただけです。
一つ出来なかったことがあります。それは薪を炊く素焼き窯を作り、学生に、わり木で素焼きをする「実習」をさせたかったことです。広い大学の校内でどこかに小さな小屋を建て、煙、炎を実感させたかったのが心残りではあります。
70歳の定年になった時、造形研究大学院が発足しましたので、そちらに移籍した為に実技の院生修了まで追加1年嘱託教授として通いました。新任の頃、10年で1人の作家が生まれれば上々と学内上層部の先生が発言されていましたが、今どうでしょう、若い人が各方面で大活躍して居ます。
オペラ牡丹亭の舞台美術担当(ニース・カンヌ)
最近、インバウンドとかで外国人の訪日がすごい人数になって居ます。この人達の訪日の目的は多種多様と思います。単なる観光が一番多いかも知れませんが、今から25 年前にあった事をお伝えしましょう。
2000年8月京都のギャラリーで個展を開催して居ました。某日ふらりと外国人男性が来廊、それほど熱心に作品鑑賞をして居た印象が無いのですが、個展終了後に拙宅にて談合しました。彼はお能の話を家内としばし談じて居ましたが突然態度を改めて、「作品のポジ」を拝借したいと申し出ました。目的は「オペラの舞台美術に使いたい」と言います。彼はフランスの音楽家で指揮者でした。
技法はポジをコンピューターに移して映像として舞台で拡大して使用すると言う。これは面白いと言う事で即断OK しました。
本人希望の7 点のポジを選択しました。オペラは中国明時代の戯曲を彼が翻案して作曲したもので、タイトルは「牡丹亭」。公演時間は1 時間余。会場はニースとカンヌの大劇場で各二回公演されました。舞台では小学生が500 人
オペラに直接参加して、オペラを早くから身につけるような教育が実施されている事です。ですから会場は全四回満員の盛会でした。この事実は、大昔の話ではなく、私の73 歳の時に実現したものです。今訪日している外国人が何を求めて来ているか? を考える良い材料と思います。制作者として想いもよらぬ事が実現したのです。この時彼が決めた拙作のテーマは、父の死を看取った時の印象を作品化したもので、芸大在職中65 歳の時父が他界しました。作品が彼のオペラのテーマにぴったり合っていたので繋がったと言う事です。表現者は自分の思う事を素直に作品化しておけば、このようなお伽話が実現すると言う事。因みに、フランス往復航空券2名分、滞在期間宿泊費1 カ月食事付。オペラ終演後、カンヌの例の舞台で私は花束を頂きました。良い思い出です。


オペラ牡丹亭の舞台美術担当
プロフィール
林 康夫 はやし やすお
1928 年 京都市に生まれる
1947 年 「四耕会」結成に参加、全展に出品
1950 年 現代日本陶芸展に出品(パリ・チエルヌスキー美術館)
1962 年 「走泥社」に参加(1977 年に退会)
1968 年 大阪芸術大学助教授就任1972 年
大阪芸術大学教授就任(1998 年まで)ファエンツァ国際現代陶芸展グランプリ(イタリア)
1973 年 カルガリー国際陶芸展グランプリ (カナダ)
1974 年 ヴァロリス国際陶芸展グランプリ・ド・ヌール(フランス)
1982 年 ヴァロリス国際陶芸展ヴァロリス文化芸術協会賞(フランス)
1984 年 ファエンツァ・マエストロに推挙(イタリア)
1987 年 オビドス・ビエンナーレ グランプリ(ポルトガル)
1998 年 京都市文化功労者
1999 年 大阪芸術大学大学院芸術制作研究科担当(退職後名誉教授)
2001 年 オペラ牡丹亭の舞台美術担当(ニース・カンヌ)
2022 年 京都府文化賞 特別功労賞
2024 年 「林康夫 浪江に捧ぐ」展(益子陶芸美術館)紺綬褒章受賞
2025 年 日本陶磁協会賞金賞受賞大英博物館に作品収蔵
あとがき
現在の陶芸実習室の礎をつくりました。90歳半ばを過ぎても、まだ現役で頑張っておられます。2024 年には日本陶磁協会賞「金賞」を授賞。受賞を機に新たに作品展を開催すべく、今年(2025 年)は精力的に創作活動に取り組んでいます。そしてかねて工芸学科の教授で本誌企画広報副委員長の竹垣恵子も林先生との交流があり、そのご縁で今回の企画が進みました。
文責/ 取材:企画広報副委員長 和田 貢
取材:企画広報副委員長 竹垣 恵子
推薦者:田村 昭彦
会報誌『Wings』第47号(2025年)掲載


