あのころの先生は今…『先生に逢いたい』持田 総章 先生
持田 総章 先生
浪速短期大学デザイン美術科講師〜大阪芸術大学芸術学部美術学科長 退職後名誉教授
活躍の原点は継続にあり
版画家であり美術家、現在大阪芸術大学の名誉教授の持田総章先生です。
2025年5月7日より7月5日まで開催の大阪市北区にあるICHION CONTEMPORARY にて展覧会『持田 総章《LOCATION》クロニクルSein und Zeit』に取材に行って来ました。
大阪を拠点に半世紀以上活躍してきた持田総章先生。1970年代から今日に至るまでの最新作を通じて「人間の存在が、世界や物質にどう意味を与えるのか」という主題に対する思考と実践の変遷をたどる初のクロニクル形式の作品展で、代表作である《LOCATION》シリーズはフェルトという空気を内包した柔らかな素材に焼鏝をあてることで、フェルトを炭化させ空気を拒絶する面を作るのと同時に、その刻印は誰かの存在を記す「記憶」へと変化します。

夢や希望の象徴でありながら戦争兵器としての側面もある飛行機、人間の存在を暗示させる椅子、投棄されたポリタンクの欠片。これらの歴史的・社会的な背景を含んだモチーフや素材とそれぞれに象徴的な意味を持った原色で構成される作品は、時代を経るごとに意味が変わり鑑賞者によって捉え方が変わります。90歳を超えてなお活躍される先生の現在に至るまでと「これから」に向けての展覧会です。
大阪芸大の思い出
——本日はお時間をいただきましてありがとうございます。90 歳を超えてなお現役クリエイターとして活躍されていますが、教鞭を執っていたころのお話や、卒業生に向けてのお言葉をいただければと思います。
私は浪速短期大学デザイン美術科講師をしていました。その後、大阪芸術大学の設立に向けて、当時の塚本英世学長より、浪速芸術大学芸術学部講師として、大阪芸大の設立メンバーのひとりに選ばれました。当初、創立メンバーに若い人は3 名位いましたが、その中でも私は一番若い教師でしたね。講師をやりながら大学の設立に必要な様々な認可手続きや、立ち上げのための準備やらで、大変忙しい日々でした。草創期から2002 年に退職してからも、様々なかたちで、大阪芸大と関わってきましたから、大阪芸大の生き字引だと言っても過言ではありません(笑)
1966年に浪速芸術大学から大阪芸術大学に改称され、1969 年大阪芸術大学芸術学部助教授、大阪芸術大学芸術学部教授、1997 年からは学科長を兼務の傍ら大学院の設立に携わり、大阪芸術大学大学院芸術制作研究科長を経て大阪芸術大学芸術学部美術学科長を歴任しました。
——経歴を拝見しましたが、その間、コンクール受賞の出品やギャラリーでの個展など精力的に創作活動をされていますね。
私は創作活動を長く続けています。卒業生の皆さんの中にも、素晴らしい活躍をなさっている方を沢山お見かけします。ですから僭越ながら、私の経験から少しだけ助言させてもらえばと思います。私が常に心がけている事は、制作の主題を決定したら執念をもって続けること、いわゆる『継続』することです。芸大に夢をもって入学し、今後進むべき道を見つけ、学んだことを活かし社会にでてゆく皆さんは、様々な困難や苦労にも直面するでしょう。自分のやりたかった事と違う選択肢を選んでしまっても、そこで立ち止まっていないで、思考の変換を試みるのも良いかもしれません。ただ、コースを変えても、へこたれず、また執念をもって打ち込む事、すなわち『継続』です。継続しないと満足できる結果は出ません。ただ、ひとつの事にめげずに打ち込むのは、大変なことだと思います。突き進む過程には、周囲から色々な意見や反発が出るはずです。私がやろうとして来た事にもありました!でも続けることで何かが見えてきます。是非を問う事に執着しない事も大切です。






戦争体験から得た活動の基盤
継続は生きることに繋がっていると思います。生きることの根幹は物事の存在や活動の基盤となっていると思います。このことを言えるのは、戦争の体験からです。終戦の時、私は小学生でした。焼野原の東京で、生きてゆくことの厳しさを生で経験しましたから。今は誰も、そんな惨めな生き方をする必要はないのです。現代は創意ある生き方が出来る時代です。選んだ道をつき進めること、継続することの根強さですかね、それが大切だと思うのです。大きな目標を持つのも良いですが、まず目前のやりたいことを継続する。それが大きな成果に繋がれば良いのではと思います。
—— 持田先生、お忙しい中、大変ありがとうございました。
プロフィール
持田 総章 もちだ そうしょう
1934 年生まれ東京都出身 現在 芦屋市在住
1962 年6 月 浪速短期大学デザイン美術科講師
1964 年4 月 浪速芸術大学芸術学部講師
1966 年4 月 大阪芸術大学に改称
1969 年4 月 大阪芸術大学芸術学部助教授
1981 年4 月 大阪芸術大学芸術学部教授
1997 年4 月 大阪芸術大学大学院教授/大阪芸術大学大学院芸術制作研究科長(2003 年3月まで)
1998 年4 月 大阪芸術大学芸術学部美術学科長(2002 年3 月まで)
展覧会
1975–2023 まで Ge 展に出展
1979 米国 日本現代版画展 アズマギャラリー(ニューヨーク)
1980 大阪 コンクール受賞作家展 大阪府立現代美術センター
大阪まがいものの光景展 国立国際美術館
1981 大阪 現代のトップランナー達展 ナビオ美術館
1984 埼玉 現代のリアリズム 埼玉県立近代美術館
1986 米国 個展 ミネアポリス美術デザイン大学(ミネソタ)
1990 仏国 芸術の相互作用展 テレポートセンター(ポワチエ)
1999 大阪 ピアノ+異空間 フェニックスホール
2004 大阪 個展 大阪芸術大学
2010 大阪「かたちのちから」大阪市近代美術館準備室
2011 兵庫 個展 尼信博物館
2013 大阪 コレクション展 国立国際美術館
2014 大阪 個展 画廊ぶらんしゅ
2015 韓国 個展 ソウル市立美術館(ソウル)
東京 個展 ぎゃらりー由芽
2016 大阪 個展 GalleryH.O.T 奈良個展 ギャラリー勇斎
2018 大阪「大阪版画百景」江之子島文化芸術創造センター(版画)
2019 大阪「第11 回あかり作品展」Gallery キットハウス
2021 兵庫 個展 楓ギャラリー
2022 大阪 個展 LADS ギャラリー
2023 大阪「日本現代美術の足跡と未来」ICHION CONTEMPORARY
2024 大阪「日本現代美術の足跡と未来」ICHION CONTEMPORARY
2024 大阪「戦後美術コレクション展」ICHION CONTEMPORARY
※モチーフの解釈
「飛行機」 ”Airplane”「飛機」飛行機は「空を飛びたい」という夢を形にした道具であり、行動や認識に新たな可能性をもたらした。しかし現在では、平和利用にとどまらず、戦争の手段としても使われている。発明も使用も人間によるものであり、その選択は、人間の存在に対する根本的な問いを投げかけている。飛行機がモチーフになっている作品は、物と人間の関係を映し出し、政治的・社会的問題への静かな問いを含んでいる。身近な切迫感を世界の人々がユートピアに転化できれば。
取材:文責 和田 貢
推薦者:田村 昭彦
会報誌『Wings』第47号(2025年)掲載


