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凸凹母校大阪美術専門学校 活躍するOB・OG

“ 縁”が築いた“ 絆”のデザイン 株式会社 wandervogel & co. 代表取締役 中 森 恭 平 大阪美術専門学校デザイン学科 1999 年入学 2001年卒業(D99106)


オフィス前にて 左から齋藤信 企画広報委員、中森恭平さん

今回の大阪美術専門学校の活躍するOBは、奈良県桜井市ののどかな野山を明るく元気に仲間達と走り廻っていた若者が、“ 縁” あって大阪美術専門学校に学び、というか楽しみ、卒業時に再び“ 縁” あって大阪芸術大学の卒業生と出会い、その個性と人柄を気に入られ、パッケージデザインを主としたデザイン制作会社に入社。美専生徒時代に青春全開したぶん仕事に全力投球。先輩後輩達にも恵まれ2019 年。独立開業して現在5人のスタッフとともに『感覚的価値の向上』を目指し、日本だけにとどまらず取材や撮影でまさに飛び廻っている、元気印の伸びしろじゅうぶんな卒業生を紹介します。

齋藤:元気そうですね。久しぶりです。忙しいと聞いています。株式会社サンデザインアソシエーツのパッケージデザイン部でお会いしてからも活躍されているとは聞いていましたが、今回は起業おめでとう。

中森:ありがとうございます。取材や撮影で日本に帰って来られない時期もあり、お待たせしました。すみません。

齋藤:新会社はうまくいってますか?

中森:現在、従業員5名でなんとかまわっています。

齋藤:開業の挨拶に来てくれた時、会社名を聞いてたぶん思い入れがあるのだろうなと思っていましたが。会社と仕事の宣伝をしてください。


wandervogel & co. メンバー

中森:ワンダーフォーゲルはドイツ語で「渡り鳥」の意味です。するどい方向感覚を持ち目的に向かって迷わずはばたく、そんな渡り鳥のように、最適な着地点をアイデアとデザインでご提示しています。

齋藤:具体的な仕事内容は?

中森:主に『視覚価値向上=グラフィックデザイン』が主になっています。最近では、企業ブランディングとして、社名やフィソロフィー(哲学・理念・信念)の見直しから各ツール作成を数社手掛けています。同時に、長年培ってきたパッケージデザインにおいても食品メーカーや家庭用品メーカーも定期で受けています。その他に趣味が興じて出会ったアウトドアショップやタイヤやホイールのメーカーとも楽しくお付き合いしています。

自動車のルーフラック オフィス

齋藤:今、少しウルッと来ています。あの恭平がここまで大きくなったかと。

中森:先生、しっかりしてください。卒業の時、金志先輩を紹介してくれなかったら今の僕はなかったかも知れないのですから。
《金志ひろみ:大阪芸術大学デザイン学科卒業。デザイナーとして、母親としてこれからという時に30代後半で早世。》

齋藤:うん、あのとき会社に宴会係が欲しいって言っていたから紹介した。

中森:いい話に持っていこうとしていたのに。

齋藤:さて、取材ですが、なぜ美専に入学を決めたのですか?

中森:まず高等学校の美術の先生に薦められました。大学受験を見据え、スベリ止めとして。笑。

齋藤:なぜ、デザインCAD専攻を選んだのですか?

中森:当時、建築家を目指していました。迷う事無くデザインCAD専攻を選択しました。

齋藤:美専の生徒時代のエピソード等は?

中森:社会の現場で活躍しておられる先生方ばかりでしたので、技術だけでなく社会人になるための多くの精神的指導もしっかりいただけた事が印象深いです。それと、少人数のクラスが特長のデザインCAD 専攻は全てにゴマカシが効かず、怠ける事無く2年間過ごせたように思います。

齋藤:就職先の株式会社サンデザインアソシエーツでの具体的なエピソードは?

中森:建築インテリアを学んでからパッケージデザインへの転身でしたので、デザインの考え方や表現方法等、上司先輩に指導していただき自身グリップを感じない1〜3年目は悔しさと焦りでいっぱいでした。

齋藤:起業して現在の思うところは?

中森:お金って超大事。

齋藤:後輩達へのアドバイスを。

中森:「アートとデザインは違うよ。」

齋藤:わかってくれてたんやね。
今回は感染病関連の自粛で何回もお会いする事もかなわぬ中で、取材に応じてくださいました。ありがとう。

中森:先生、長生きして見ていてください。

中森恭平 プロフィール
1980年 11月 6日生
2001年 3月 大阪芸術大学附属
大阪美術専門学校 デザイン学科 卒業
2001年 4月 株式会社 サンデザインアソシエーツ 入社
2019年 4月 退社
2019年 5月 ~wandervogel & co. 設立
2014年 ~ 公益社団法人 日本パッケージデザイン協会(JPDA)理事(4 期目)

株式会社 wandervogel & co.
〒550-0015 大阪市西区南堀江4-25-35 東芝ビル1 階
TEL.06-6538-1441

時代背景

  • 中森さんが美専入学当時は、設計業務をコンピュータに支援させるCADが広く認識され各企業も各教育機関もそれぞれの持ち味を模索していた頃。
  • 中森さんが入学した《デザインCAD専攻》(現インテリアデザインコース)は、当時、まさにデザイン業務にコンピュータを使用してのデザインとそのプレゼンテーションを学ぶ専攻。専門の技術としてCADの資格を持てば就職も優遇される時代。
  • 初代1984年のMacintosh は当時DTP(パソコンで印刷物のデータを制作)の方向性が主。
  • 建築、インテリア、インダストリアル等の設計には向かないのか?ソフトウエアはどうする?
  • 大阪芸術大学と提携校のミネアポリス美術デザイン大学や州立ミネソタ大学のCAD教育や当時のツインシティーの各建築デザイン会社の実際を参考に大阪美術専門学校でやってみよう。と開設した美専デザインCAD専攻。
  • 今でこそWindowsもMacintoshも単に好みの問題。
    当時はMS-DOS機とMacintosh OSどちらがどうのこうのとか、よく記事にもなり書店には専門書のコーナーがあり多くの人々がむらがっていました。
  • DOSマシンとMacintoshを教室に同数向かい合わせに並べ、その間に大きなテーブル。どちらも同時に有効に使用しての課題制作をしていたデザインCAD専攻。
  • 勘が良い中森君は短い時間で操作はもちろん課題も仕上げてしまってあとは仲間と青春。
  • 当時のデザインCAD 専攻は2年制。
    あっという間に卒業年次。青春活動に忙しく、就職活動まで手が回らなかった中森君。
  • 卒業制作展の当番の日に、担当教授の大阪芸大での教え子の金志ひろみが美専に求人に。
  • そこに中森君が偶然当番で居た。
  • 人間性の良さを見込んだ金志先輩は、会社に連れていきそのまま入社。
  • 中森君が最も実力を発揮したのは宴会?
    いわゆる宴会部長?になってしまいました?美専生時代と変わりません。

つまり、彼の人柄が仲間を増やしていき、“ 縁” が“ 絆” を結んでいったのだろう。と、今回の取材であらためて感じました。たいへんすがすがしい気持ちになりました。

取材・フォト/ 企画広報委員 齋藤 信

中森さんの手掛けた仕事の一部です。建築を志しCAD/CG/DTPに馴染み、パッケージデザイン関連の実務で18年間。仲間達と培った多種の表現で、今やオーストラリアの自動車アクセサリーメーカー日本正規代理店のプロデューサーをこなし、デザインの基になるパッケージやロゴは勿論、実家で手広く収穫しているお米など自然食品の販売まで、大きな目的に向かって迷わず羽ばたいています。


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編集>> 塚本学院校友会 企画広報委員会 発行人>> 福永亮碩